その昔、私が寄席に足を運ぶようになった頃(1959年・大学1年生)、ラジオ・テレビ等で講談を選んで聴くことはまずなかった(今でもそうだが)。
ところが寄席には必ず一人か二人は色物・講談が交じるので、その中でこの神田山陽だけは記憶に残っている。
というのも山陽にだけしか通用しない秀逸なギャグがあったからである。
山陽(枕で)「私なんぞが地方公演に行っても皆さんご存じない。『お前はなんだ?』『講談師です』『(好男子なんて)冗談言うな』『山陽です』『なんだ電気屋(サンヨー)か』」という前振りだった。
上の年表から見ると、当時50歳台だったことになるが、芸人の通例として未だ「若手」の位置づけ・雰囲気だったと記憶している。 |
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上は山陽門下・神田紅のエッセイ・(本邦初)CD付講談教室テキスト本の表紙であり、左の山陽写真もその中からスキャンした。
左のとおり講談そのものは私の好みではないが、神田紅が私の中学・高校の後輩であり、彼女をダブルメインゲストの一人として招いて毎年福岡で開かれる催しに、
これも中学・高校来の親友(と自分で思っている)の誘いで出席するようになって以来、寄席知識として少しばかり講談界を登場させてみた。
神田 紅監修/夢野晴吉 著 「新門辰五郎」 |
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